こんにちは。
本ブログ運営者の「みこまろ」と申します。
今まで色々なテーマでブログに挑戦してみたものの,どれもうまく続かず。。
「どんなコンセプトがいいだろうか…」と考えていた時に,「暇と退屈の倫理学(国分功一郎著)」という本を読んだのです。
これが大正解でした。
ここでは詳細は語りませんが,冒頭から最後の結論まで非常に面白い。
ここまで突き詰めるか!というくらいに”暇”と”退屈”に関しての議論が掘り下げられています。
そしてふと思ったのです。
もしかしたら自分は,退屈しているのかもしれないと。
普段は製薬企業で研究して,休日は本読んだり,英語の勉強したり,たまにゲームもしたり,こうして記事を書いたりしているのですが,どうにも漠然とした「これでいいのか感」に苛まれてしまう。
自分自身,器用貧乏な性格をしていて,よほど苦手なものでない限り,ある程度はこなせるのですが,どれも中途半端に終わってしまうんですね。
何かに熱中していた時期もあったのですが,結局どこかで辞めてしまい,結果として何にも熱中できない,ということがしばしば。
これのためなら人生賭けてもいいと思えるような,そんな何かに熱中している人を羨ましく思ってしまったりもするわけです。
「研究者なら,研究に熱中しろ」と言われてしまいそうですが,休みなく研究に熱中できるようには中々なれず,自分のような凡人は,休日くらいは息抜きをしたいと思ってしまう訳です。
「自分にも熱中できる”何か”があったらいいな」と,そんな風に考えてしまうこともありました。
「一体自分はどうしたらいいのか?」
これまで,この問いに対する何かしら明確な”答え”のようなものを探して,色々な本を読んできました。
”自己啓発本”なるものを読むと,読んだ直後はすごく納得できて,何やら自分がすごい知識を持ったかのような気分になってしまう時もあるのですが,結局また”答え”のようなものを探して読み漁る…
そんな時,この「暇と退屈の倫理学」に出会ったのです。
この本には,これまで自分がずっと抱いていた”ぼんやりとした疑問”が一体どういう類のもので,それがなぜ生じるのか,そして,それとどう向き合えばよいのか,多くのヒントが散りばめられていました。
どうやら自分は,何かに熱中することなくずっと”退屈していた”ようなのですが,この本によると,それはある意味人間らしく生きているということでもあるとのこと。
むしろ退屈しない状況(=何かに熱中している状況)は,裏を返せば自由でないと考えることもできる。
必ずしも何かをしようと”決心”する必要はないのだということを知りました。
「決心しろ」とか「有言実行」とか,そういう言葉をよく耳にしますが,ひとたび何かを決心してしまうと,その人の決心した後の行動は,その人自身が下した”決心”によって縛られてしまう(ある意味自由でなくなってしまう)。
時には,その決心にそぐわない行動が全て無意味のようにさえ思えてしまうこともある。
この考え方は,ハイデッガーの退屈論が関係してくるのですが,ここの考察が非常に面白く,とても私がここで説明しきれるような内容ではないので,ぜひ本書を読んでみてほしいと思います(何より,本書の文章は非常に読みやすい上に面白い)。
そして,この考え方が腑に落ちたとき,このブログを”暇つぶし”をコンセプトにしてみようと思いました。
”暇つぶし”って,自由そのものだと思うんですよ。
何をしてもいいから,”暇つぶし”。
そこに良し悪しは無く,”これをしなければならない”とか,”こうすべきだ”いたいな「べき論」もない。(ハイデッガーの退屈論で言えば,第一形式と第三形式の退屈のループにハマる必要もないということですね。)
だから自分自身も,「気が向いたときに,気の向くままに記事を書く」。
そして,自分の暇つぶしが誰かの暇つぶしになるのなら,それも面白いなと。
一応は,製薬企業で研究している身ですので,極力は信ぴょう性のある情報に基づいて記事を書くようにしておりますが,「エビデンス!エビデンス!」(エビデンス=科学的根拠)と,あまり躍起にならないでもらえると嬉しいです。
科学に携わる一人であるからこそ,科学はあくまで傾向を示すものであって,絶対的なものではないと個人的には考えていますし,人間の直観とか,感覚的な部分も意外とばかにできなかったりもするものです。
その辺りの細かいことが気になる方は,科学論文を読むとか,実際に書籍等の一次情報にあたってもらえればと思います。
何はともあれ,ここは「暇つぶし」の場ですから,難しいことは考えずに気軽に読んで頂ければ何よりです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
みこまろ